2022年 9月号
海を活かす
夏の終わりに久々に御幸が浜に降りてみました。その日8月20日には、障害のあるなしに拘わらず誰でも海水浴を楽しめるようにと「バリアフリービーチ」というイベントが開催されていました。茅ヶ崎や鎌倉で先行的に行われていたもので、小田原では初の取り組みだそうです。旧知の友人である実行委員会のメンバーの「一般社団法人 神奈川県西地区リハビリテーション協議会」の初鹿さんともお目にかかり、そのお姿からこのイベントに込めた熱き思いも感じさせていただきました。車イスで訪れた方々は、車イスのままで砂浜で移動しやすいようにと敷かれた特製マットの上を海辺に向かい、浮きの付いた特製の車イス(モビチェアというのだそうです)に乗り換えて、補助員が周りを囲い転覆などしないように注意を払いながら、海水浴を楽しんでいました。皆で少しずつ力を合わせれば、障がいのあるなしに拘わらず、いろいろなレジャーを楽しめることがよく分かりました。
また、コロナでお休みを強いられていた海の家も再開。家族連れの多くの人が楽しそうに談笑していました。これまで40年続いていた「海の家サンシャイン」を地元飲食店が引き継ぎ、店舗名は「BeachHouse SunShine(ビーチハウス サンシャイン)@Bar SPATS」として再開されました。海までのタクシーの領収書1枚につき1ドリンクをサービス、FMおだわらで毎朝海の状況を生中継するなど新しい取り組みもされていました。中心になって頑張っておられた福田さんをはじめ駅前の飲食店の皆さん、ありがとうございます。
西湘バイパスの橋げたの下からでありますが、浜風に吹かれ、波の音を聞きながら、人々がそれぞれに楽しく時間を過ごしている様子を眺めながら、やはり海はいいなと改めて思ったしだいです。
さて、久しぶりに浜に行って、蘇ってきたのは子供のころの記憶でした。子供の頃(私は昭和30年生まれ)頃には、御幸の浜辺りの海岸の砂浜は波打ち際まで100メートルくらいはあったように思います。臨時のテントやリングを組んで、サーカスとかプロレスとかの興行もありました。現在の浜の姿からは想像できないくらい素敵な海岸でした。
そして、何と言っても寒ブリ。子供のころには冬の食卓はほぼほぼ毎日ブリが登場していました。その頃は高級魚というわけでもなかったようです。定置網で大量に獲れていました。まだ早川漁港ができる前でした。直接浜に引き上げられた漁船からブリを降ろしていました。その当時は年間の水揚げは50万尾とも言われています。それが、今では数千尾に減ってしまいました。高度経済成長のダムや高速道路や取水堰といった様々な整備と開発と共に、砂浜がなくなり、酒匂川から真水が入らなくなりという環境変化がもたらしたというのがその原因として定説になっているようです。
海からの恵みをいただく水産業の振興に併せて、海というかけがえのない地域の資源に今一度目を向け、「海を活かしたまちづくり」について考えてみるべきだと思います。さて…。